【インタビュー】書家、芸術家、大阪芸術大学教授 紫舟氏(広報誌「にちぎん」No.87 2026年秋号)

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伝統的な「書」の作品にとどまらず、書と絵画を融合した「書画」、さらに、書を立体化した独自のアート「書の彫刻」など革新性あふれる表現で、日本の思想や文化を世界に発信し続ける書家の紫舟さん。NHK大河ドラマ『龍馬伝』の題字などで知られ、唯一無二の現代アートと称される斬新な作品を生み出しています。最近では、アートの力を用い想像力で人を治す「未来の病院」プロジェクトにも取り組んでいます。その意義やこれまでの歩みについて、語っていただきました。

紫舟 子どもの頃の私は、何一つ夢中になれるものはありませんでした。夏休みは立派な計画を立てても、やらない、努力とも情熱とも無縁のまま、ただ日々をやり過ごしていました。

だから、雨の日に泥だらけでボールを追う少年や、道端でひたすら楽器を奏でていた少女の姿に、憧れていました。

何かに没頭する輝きは、私になく、しかし、人は誰しも、何かしら才能やセンスと呼ばれるものがあり、夢中になれる何かがきっとあると願い、さまざまなお稽古事に挑戦する、才能を探す旅をしていました。

紫舟 書は、祖母の勧めで6歳から稽古を始めました。熱心な先生に恵まれ、人より多く練習していただけでした。ただ、幼いながらに、「やればできる」と思える自信の礎になるものを手放してはいけないという思いで、続けていました。自分の道だとは全く考えてもみませんでした。

絵を描くことは好きで、芸術家への憧れを抱いていましたが、なれるわけもなく、口に出すこともありませんでした。

紫舟 高校時代、先生から「美大や芸大は予備校に通わないと合格は難しい。卒業しても食べていけないから、やめた方がいい」と言われ、あっさり自分の夢にふたをしました。

ですが大学時代、初めて没頭できたのが合気道でした。合気道の精神に惹(ひ)かれ、その後の人生を導いてくださる善き師にも巡り合えました。

依然として、才能の矛先を探して、靴を作ったり、ガラス作品を制作しましたが、どこにも才能はなく、芸術家として生きていけるとは思えませんでした。

紫舟 大きな会社で働き始めると、自分の将来が数字となって見えてきます。10年後、20年後、定年までの人生が計算できる。

それは安心ともいいます。私には、ここは私の居場所ではないと分かっているのに、人生が見えてしまい、計算できてしまうことが不安でした。

当時の私は、よどんだ水たまりのようでした。人生に新しい経験や刺激を加えても、水は澄みきることはなくよどんだまんま。このままだったら、ずーっと、このままだと感じ、石の上にも3年を終えて、会社を辞めました。

紫舟 振り返ると、会社を辞める選択は、人生で初めて自分で下した決断でした。進学も就職も、覚悟はなく選んだ気になっていただけで、本当は決めるのが怖くて失敗もしたくなくてただ流されていただけでした。

子どもの頃から、才能を探し続けても見つからなかったのだから、何かをしながら、ではなく退路を断って、見つけよう。そう決意して会社を辞め、生涯をかけて成すべきこと探しが本格始動しました。

しかし、会社から離れると、看板も肩書も役割も消え、毎日街へ出ても行き先も目的もない。誰からも必要とされない錯覚に陥りながらも、ずっと自分に問うていました。

どれも答えられず。結果、分かったことは、私は何もできない、というただそれだけでした。絶望に近い感情でした。

自信も過信も手放し、積み重ねてきたものも全て去っていった時、おなかの中のさらに奥底に、ただ一つ残っていたもの。

思えば、6歳で書と出会い、書家を引き受けるまでこれほど長い時間がかかりました。本当の自分にふたをして、見ないようにし、気付かないふりをして生きていたのかもしれません。

紫舟 書家になると決めてからは、神戸に小さな事務所を構えました。仕事をご一緒したい方々へ、大きな封筒に墨で宛名を手書き。お金もなかったのでモノクロコピーした書を送り続けました。

3カ月後、当時圧倒的な活躍をされていた浜崎あゆみさんのミュージックフィルムの題字の依頼がきました。

東日本大震災から1週間後、テレビが通常番組へ戻る節目に、テレビ局から書のライブパフォーマンスの依頼がきました。

震災直後は、日本は深い悲しみと不安の中にあり人々は支え合い助け合っていました。1週間たつ頃には、誰かを責める言葉や行き場のない苛立(いらだ)ちが社会に広がり始めました。国難に必要なのは、誰かを責めることでも、分断でもない。多くの人々の心を一つにし、力を合わせること。そんな言葉を探したのですが見つからず、新たに造ったことばが、「日本一心」でした。

この書はCOMPLEXをはじめ、多くのミュージシャンや企業、団体の方々に用いられ、復興支援活動へとつながり、被災地には多くの寄付が届けられました。

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